2021年6月23日水曜日

【訃報】武知忠義さんの思い出  立石恵嗣


2021年6月3日、徳島地方史研究会の創立メンバーであり2代目代表を務められた武知忠義さん(享年86歳)が亡くなられた。初代三好昭一郎さんのご逝去に次ぐ訃報に若いときからご指導を受けたものにとって喪失感は限りなく大きい。

実直で温厚なお人柄から武知さんは、研究会仲間からは「武知の忠やん、忠さん」と呼ばれ親しまれた。野武士的でブルドーザーのような三好さんをはじめ、若く血気盛んな多士済々の面々の集まりでは研究成果をめぐり議論沸騰は日常茶飯事。

そんな時「ほんなことを言うたってあかんわ、筋が通らんでえ」と、独特の口調と粘り腰で場が納まったことはしばしば。「忠やん」の存在は研究会の潤滑油の役割を果たしていたように新米の私には思われた。

「忠やん」が三好さんのあとの2代目代表となったのは当然の成り行きであった。武知新代表のもと、私も事務局の一員を担うことになったが、創設以来、本県の郷土史・地方史研究の世界に新風を巻き起こしていた本会である。

強烈なカリスマであった「三好イズム」から新たな機軸を打ち出すのは苦労だった。知恵を絞りはじめられたのは「ふるさと探検」。一般公募による臨地歴史学習は、子どもたちの夏休みの自由研究につながる参加しやすい取り組みとして話題を呼び新しいスタイルとして定着した。

武知先生の原点には、地方史研究で培われた実証主義の精神と、社会科教員として取り組んできた豊富な教育実践があった。代表就任を記念して地域史論集『徳島近代史研究』(1982年)が刊行されたが、板野郡竹ノ瀬村を事例に近世村の成立や分解動向を緻密に分析されたのをはじめ、地域の地主制、小作争議、被差別部落史など徳島近代史研究の展望を切り開いた研究成果だ。

教育現場の豊富な実績評価されて武知さんは、やがて本県教育の重要課題であった「同和教育」の推進役として県教育委員会に招聘された。近代徳島の融和事業に注目して被差別部落史研究を進められたが、尽力された「徳島県戦後同和教育資料集」等の刊行は、研究者であり教育者であった武知さんの本領が発揮されたお仕事であった。

鴨島商業高校(現吉野川高校)の校長を最後に退職された後は、郷土が生んだ世界的偉人「賀川豊彦」の顕彰活動に取り組み、孤軍奮闘しながら賀川豊彦記念館の建設と運営に尽力された。また、「四国部落史研究会」の中核メンバーとして、四国の研究者と連携を図りながらその後も部落解放活動に粘り強く取り組まれた。

同和教育は裾野を広げて人権教育へと拡大発展していったが、地域の底辺民衆の生活に視点を置く人道的な研究の視点は「武知史学」の根幹をなしていた。武知さんの人生も「人権の尊重」を一筋に貫かれた人生であったと言えるだろう。

今頃は一足先に天国に上られた三好先生と共に、下界が右往左往する私たちの動向を二人で愉快そうに語り合われている様子が、私には目に見えるように想像できる。

お二人のご冥福を心からお祈り申し上げる次第である。