「管内布達」「御布告」などに見る明治初期の世相〔2〕
松 本 博
(2) 身分意識の残存と「四民平等」の意味
明治維新の世は、江戸時代のいわゆる「士農工商」の身分制社会が改変され、皇族・華族・士族・平民という新たな身分制度をつくりだした。そのことは近代日本の行方をまさしく規定するものであった。
まず、ここに紹介する史料は、明治4年に太政官より各府県に布達されたもの。維新政権は結局、薩長の藩閥を中心とする士族が主導することとなるが、社会の底流にある江戸時代の「武門の流弊」は維新の世にも依然としてあからさまに表面化することが多かった。
以下の史料に示されているように、士族は「下民」に対して些細な「不敬」をも許さず、甚だしい場合は殺傷するにまでおよんでいる。「切り捨てご免」の横行である。維新の世にはあってはならない仕業である。遠い片田舎にあってもそのような心得違いの者があってはならない。各地方官は「篤く告諭いたすべし」というのである。
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一方では「四民平等」が標榜され、平民も苗字をつけることや職業選択の自由が許されるとともに、つぎの史料が示すように「華族より平民にいたるまで互いに婚姻がさし許される」世の中となった。
しかし、この「四民平等」は富国強兵のための兵役や税などの新たな重い負担の平等が義務づけられるという極めて重要な意味を含むものであった。それは弱小農民たちによる過重負担によって日本の近代化が支えられてゆく道でもあった。
【管内布達 明治四年】 御布告写 華族より平民ニ到迄互婚姻被指許 候条双方願ニ不及其時々戸長へ可届出 事 本文戸長へ可届出儀当分之間保長江 届出保長より直ニ世話役へ可申出事 但保長無之組者直ニ世話役江 可届出并卒以下より任官其餘職 | |
務罷在候向者元身居之筋々へ 可相届事 九月 縣 廰 |